Poems in Code:ジェネラティブアートを巡る覚書
ドロップボックスなのがいつ消えるかわからなくて怖い
メモ
1 《タレルの部屋》は⾦沢21世紀美術館にあるジェームス・タレルの作品であり、天井部に四⾓い開⼝部を作り出すことで、⽇々変化する空の様⼦を「上映」している。 NFTの興隆によるコードアートコミュニティの構築があると
技術的なデモではなく、ポエムであるべきだ
G・ゼンパー派
装飾芸術をその「使⽤」や「材料」や「技術」といった唯物論的な史観から捉えようとした 装飾芸術を創造的な「芸術意志」(Kunstwollen 原義は「芸術を欲すること」)という観点から捉え直そうとした テキスタイルは 織物や布地、糸などの総称で、アパレル関連の繊維を指す言葉
ジェネラティブアートはテキスタイル的な装飾性がある。
同じようなことを思いました。何故か借景って言葉が出て来こなかったけど……uesən.icon
自然を模した「抽象」
幾何学的な「抽象」
普遍的な形態や構造に焦点を当てる内省的な傾向を持つ
逃避や精神的安定のため
特に 2022-2023 年においては絵画的な絵筆の質感や、紙のような背景⾊の質感を模倣
わかる。というか最新の傾向だったんだな。uesən.icon
ここでは「Poems in Code」はそれとは逆を行く物が多かった
これはジェネラティブアートが持つ特色を活かしていてとても良かったと思うuesən.icon
文章上もそういう感じ
「NFT となる絵画的なジェネラティブアート作品の出⼒は、その多くが静⽌画であり、それらを映像作品とするのは具体的な困難が伴うからである。」
なるほど。乗り越えられる困難ではあると思うが、乗り越える必要のないものではある
ジョシュア・デイヴィスは、2023 年 12 ⽉に X での投稿で、「私はペイントやペンシル、⽔彩などアナログを模倣するジェネラティブアートを好まない」とし、ツールはそのメディウムを受け⼊れるべきであり、他のツールの模倣をすべきではないという趣旨の投稿をしている。 ふむ。理解はできる。
他の作品と違い、15分まるまる一つの作品に使ったらしい
ブルネイ出⾝のアーティスト Yazid の作品《Homage to Broodthaers》(2024 年)
ベルギーの詩⼈で映像作家
デジタルとアナログの中間に位置する中性的な表現
中性的な表現っていいですねuesən.icon
アレクシー・アンドレ
コードによるアルゴリズミックな造形は、例えば「円が n 回 x,y ⽅向に動く」というレベルの意味で、純粋なコンセプトに基づくアートであると⾔える これが似ている
確かに現代アートのように制作意図という意味でのコンセプトや、政治性、批評性をジェネラティブアートの作品に含み持たせることは例外的かもしれない
しかし、eziraros の作品が実例を提⽰している。後述
ケイシー・リースの《There's No Distance》
「Poems in Code」はしばし SNS 上で「焚き⽕」のメタファーで語られるのを⽬にした。
まさに焚き火の鑑賞体験に近い
消えない焚き火はジェネラティブアートが永続的で有機的なイメージを⽣成することができることを⽰すことにもなる。
思考実験:どのように展⽰をすればジェネラティブアートは⾃律的な作品として成⽴しうるのか。(今回の方式以外で)
リアルタイムのコード実⾏
⼀つのディスプレイで⼀つの作品が上映される状態
自立している感が増す
ディスプレイサイズ
アスペクト比
結局正方形か
映像のほうが取り回しはいいか
参考文献